私が「発信」できるようになった3つの理由
「ボキャ貧だね」
かつて、職場の上司にそう言われたことがあります。
昔から本を読む習慣はなく、手に取るのは漫画や雑誌ばかり。そんな私が、今こうしてサブスタで記事を書いている。自分でも少し不思議な感覚です。
なぜ、あんなに苦手だった「発信」ができるようになってきたのか。そこには3つの変化がありました。
1. AIという心強い「助手」の存在
まず、AIという存在がなければ、私は今この記事を書いていないと思います。
これまでは「書きたい」と思っても、語彙力のなさや文章構成の不安が常にブレーキになっていました。
もちろん、内容のすべてを任せるつもりはありません。
• 自分の抽象的な想いを、適切な言葉に整えてもらう
• 読みにくい文章の構成を整理してもらう
「思うがままに書いた、まとまりのない文章」を、AIが客観的に整えてくれる。この安心感があるからこそ、私は「書いてみよう」と一歩踏み出すことができました。
2. 「素材」がいらない、サブスタの気軽さ
これまで発信のメインにしていたInstagramでは、どうしても「画像」や「動画」が必要でした。
「投稿したいけれど、素材がない」
「動画を編集しなきゃ」
と考えているうちに、発信のタイミングを逃してしまう……そんなラグが常にありました。
一方、最近始めたサブスタは、初期のTwitter(現X)のような気軽さがあります。
• 画像がなくてもいい
• 思った瞬間にすぐ書ける
一人暮らしの日常では、外に放出されずに自分の中に滞ってしまうものが多いです。
それを伝えるできる場所が見つかったのは、私にとって大きな変化でした。
3. 「誰のため?」から「自分軸」へのシフト
これが一番大きな理由かもしれません。これまでの私は、発信に対してずっと「正解」を求めてしまっていました。
「こんな平凡な人生を送ってきた私が、何を書けるんだろう」
「専門職としても趣味の領域でも、上には上がいくらでもいる」
「皆にとって有益な情報を書かなければ、読む価値がないんじゃないか」
ずーっと、そんなことばかり考えていたんです。でも、ふと立ち止まって「じゃあ、逆に私はどんな記事を面白いと思って読んでるんだろう?」と自分の心に聞いてみました。
そこで気づいたのは、私が一番心を動かされるのは、完璧な正論やキラキラした成功法則ではなく、書き手の体温が伝わるような「共感」ベースの記事だったということです。
医療従事者としてのリアルな葛藤、女性としての生き方、あるいは自分と似たような痛みや経験を持つ人のエッセイ。たとえ万人に向けた「正解」ではなくても、私の心にはスラスラと入ってきました。
そう気づいたとき、ふっと肩の力が抜けました。
「面白い」の基準は人それぞれ。全員に面白いと思われる必要なんてないし、そもそもそんなの無理なんです。
これまで、音楽が好きだと言いながらも「もっと詳しい人がいるし…」と遠慮していましたが、自分軸で「ライブに行って最高に楽しかった!」と書けたとき、すごく清々しい気持ちになれました。
最後に
誰かに刺そうとして書く記事より、自分が「書きたい!」という熱量を持って書く記事の方が、結果として誰かの心に届くのかもしれない。
今はそう信じて、この「自己満足」な執筆を楽しんでいます。

記事を拝読し、非常に深く腑に落ちました。
日々の病院運営に関わる中でも、医療従事者の方は真面目で「正しい情報を伝えなければ」という責任感が強いあまり、ご自身のリアルな感情や葛藤を外に出すのをためらってしまう姿をよく目にします。
だからこそ、完璧な正論ではなく「体温が伝わる共感ベースの記事」にご自身の心地よい居場所を見出し、肩の力を抜いて発信を楽しまれている姿勢が本当に素敵だと感じました。清々しい気持ちのお裾分けをありがとうございます。